少年隊として歌やダンスはもちろん、俳優、演出家としても長年その能力を発揮してきた錦織一清。3月13日(土)に開幕する畠中恵「しゃばけ」シリーズpresents「シャイニングモンスター」~ばくのふだ (Shining編/Shadow編)では、ジャニーズ事務所退所後、初の舞台演出を務める。
2.5ジゲン!!では錦織に単独取材を実施。自身のルーツや初めての舞台演出の思い出、長年応援しているファンへの想いまで、たっぷりの熱量で語られたインタビューをお届けする。
「男はつらいよ」と寄席の思い出
――今作がジャニーズ事務所を退所されて初めて手掛ける舞台となりますね。お話が決まった経緯を教えてください。
2018年と2019年に演出を手掛けた「GRIEF7」がきっかけになります。その頃から何となく、先の自分の方向性のことをうっすらと考えていたんです。1人でいろいろとやってみたいな、とかね。
それで「GRIEF7」のときに、「また一緒に何かやりたいね」と今回の制作でもあるプロデューサーさんに話したんですね。でもまさか、退所してこんなにもすぐお話が決まるとは思わなかったです(笑)。
2020年6月に(愛媛)松山の坊っちゃん劇場でやった舞台を最後に次々に舞台が中止になってしまいましたが、それでも止まりたくはないなと思っていたので、本当にありがたいお声掛けでした。
――本作の原作「しゃばけ」は人情味のあるお話ですが、人情話と言えば、錦織さんは映画「男はつらいよ」のファンだとお聞きしたことがあります。
俺の親父は「清」といって、映画「男はつらいよ」の車寅次郎を演じていた渥美清さんと同じ名前なんです。
親父は俺に、その「清」の文字を継がせるほどに渥美さんを大好きな人でね。子どもの頃親父に連れられて「男はつらいよ」を観に(東京)錦糸町まで行っていたの。何作目かに錦糸町の露店で寅さんが商売をしているシーンが出てきてね、「あ、ここ知っている!」って驚いた思い出があります。
俺は親に遊園地とかそういう所に連れて行ってもらったことがないんですよ。行っていたのは、主に落語、寄席。だからかな、昔こぶ平(9代目林家正蔵)さんに「錦織さんの口調は噺家みたいですね」って言われて。
ラジオとかいろいろな番組で何かお話するときも言われるんだけど「何でそう、話にオチをつけるんですか」って。ずっと落語や寄席を見てきたから癖がついちゃっているんだろうね(笑)。
当時から変わらない演出哲学とは
――錦織さんが演出される舞台は、全ての人が輝いているような印象を受けます。
俺ね、「その他」みたいな扱いが好きじゃないの。日本だとアンサンブルの方々がそういう風に見られてしまうことがある。でも俺は、舞台に立っている人みんな、隅から隅まで全員が活躍してほしいんですよ。
若い頃、ブロードウェイミュージカルに出演した知人に「どうだった?」って聞いたんです。合理的な分業制など、いろいろな違いがあって本当に驚きました。アンサンブルの人が「その他」ではなくてものすごくリスペクトされていて、中でも“スイング”と呼ばれるオールラウンダーがすごい。どこかでアクシデントが起きた時に、すぐサポートしてくれる万能な役割の人なんですよ。
そういうスイングの人がいてくれるような舞台が好きなんです。でもその分、俺の作る舞台に出る人はちょっとしんどいかもしれない。「その他」が無いからね(笑)。
――「KING & JOKER」(1995年)で初めて演出をされましたが、当時から現在まで変わらない演出への思いや信条を教えてください。
まずは、お客さんを喜ばせたい、喜んでもらいたい、感動してもらいたいですね。お客さんに喜んでもらってなんぼです。
その中で、自分自身をずっと磨いていきたいから「好きなものをちょっと散りばめさせてください」とその時々の挑戦を入れていく。それが俺の物づくりの信条です。
「KING & JOKER」を見返すと、やっぱりちょっと恥ずかしいよね(笑)。何でかというと、こんなに長く演出をすることになるとは思っていなかったから、すごく欲張っちゃっているの。
2014年と2016年にやった「The Musical 横浜JAM TOWN」は、欲張っているようで欲張っていなかったかな。
――その間に、演出家として経験を重ねてきたからでしょうか。
「KING & JOKER」の時は、全部必要と思っていたんだよね、「まだここにも詰め込める! ここも! ここも!」っていろいろ詰め込んじゃって…臆病さもあったのかもしれない。若かったこともあって尖っていたし。でもその”尖り”って年々なくなっていっちゃうから少し寂しくもあるね。
それから、大事にしているのは劇場でのお客さんとの呼吸。舞台は本番でお客さんと作るものなんですよ。稽古場では“大体”でいいの。お客さんの反応は毎日違うから、その時々で芝居も変わってきます。だから劇場でお客さんを前に芝居しないとうまくならない。
舞台上の役者同士は仲間で、僕らはお客さんと試合をしているようなものなの。役者同士の呼吸や間よりもね、劇場で感じるお客さんとの呼吸と距離が大事。
それが素晴らしかったのが藤山寛美先生。客席が笑う、寛美先生はそれを肌で感じて次のセリフを口にするタイミングを待つ。だから、お客さんを前に漫才をしている人なんかはそれがうまいよね。
――観客を前にしたものと言えば、先程のお話にもあった寄席もそうですね。
落語家、講談師の方々は、一人で何役も演じて言葉だけで勝負している。本当にすごいですよね。芸能、文化、芸術をリードしていると言ってもいいと思っています。僕は講談師の神田伯山さんが大好きなんですよ。
――そうなると、今のご時世のオンライン配信や無観客上演は寂しいですね。
寂しいですね。舞台はね、お客さんが7割を作ってくれると思っているから。僕らができることなんて3割ぐらいしかない。
カンパニーにとって演出家は、演技指導者でも何でもないんですよ。演出家として俺が一番大事にしているのは、演出家は“最初のお客さん”であること。お客さんの視線で、面白い、面白くないの判断をする。
これはジャニー(喜多川)さんの言葉で、僕はジャニーさんにずっとそう言われてきたんです。
僕らが毎日稽古していると、ジャニーさんがたまに来て駄目出しをして変更になる。こっちは毎日やっているのに、「それはないよ」と思っても、ジャニーさんは「僕はいつもお客さんの目線でいたいから間を空けて来るんだよ」「お客さんなんだから、面白いとかつまんないとか言っていいじゃない」って言う。そう言われちゃったら何も言えないよね、まぁその前に社長だから逆らえないんだけどさ!(笑)
「今の僕の本質を見てほしい」
――歌、ダンス、お芝居などさまざまな分野で活躍してこられた錦織さんが今、演出に注力されているのはなぜでしょう?
本当の理由言っちゃおうかな(笑)。実はね、特に比率を自分で調整しているわけではないんですよ。
結婚式と芝居は呼ばれないと出られないって言うくらい、この仕事は「出てください」って依頼がないとできないものだから。ここしばらくずっと、何か連絡が来ると「舞台をやるから見てくれ」って。そういう依頼が多いからなんですよ。
――そうすると、声が掛かれば演者として出演される可能性もありますか?
うん、もちろん内容にもよりますけれどもね!(笑)
――貴重なお話をありがとうございました、最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。
今、すごく自然体でいるなと感じています。芸能界に入る前、タレントになる前の俺に近い状態だなって。
きらびやかな衣装で歌っていたころからファンでいてくださる皆さんにお伝えしたいのは、今の僕の本質を見てほしいということ。
板の上に立ってお客さんの前で芝居をするのではなく、演出を多くやっていることで「裏方に回った」と思われてしまっているかもしれないけれど、そうじゃないのね。作品を作る同じ船に乗っているし、何ならゴールを決める船長やキャプテンかもしれない。
それからもちろん、今の活動を見てこれからファンになってくださる方にも。どうか僕の本質を見てください。それから今後とも長いお付き合いをよろしくお願いします。
* * *
ときに情熱的に、ときに表情をやわらげながら、さまざまな「錦織一清の美学」を語ってくれた。彼の信条、思いは何年経っても変わることなく、一本筋の通った生き方をしてきているのだと強く感じた。
新たな門出を迎えて手掛ける「シャイモン」は、どのような舞台となるのだろうか。1986年から23年続いたミュージカル『PLAYZONE』が上演された東京・渋谷で、「シャイモン」と共に彼の新しい人生の幕が開く。
取材・文:広瀬有希
撮影:きさらぎひかる
※記事初出時、一部情報に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。
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