舞台「ROOKIES」が11月18日(木)、東京・シアター1010で開幕した。
原作は週刊少年ジャンプで連載された森田まさのりの人気漫画「ROOKIES」。不祥事での活動停止から不良学生のたまり場になっていた二子玉川学園高校(ニコガク)野球部を舞台に、赴任してきた教師・川藤幸一が野球部員たちと心を通わせていく熱い青春ストーリーで、後にドラマ化や映画化もされた人気作だ。
初日に先立ち行われたゲネプロの様子をレポートする。
ある日、二子玉川学園高校に赴任してきた教師・川藤幸一(演:根本正勝)。前にいた学校で生徒と問題を起こして辞職。復職したものの再就職に難儀していたところを同学園の校長・村山義男(演:風見しんご)から声をかけられたのだ。
希望に燃える川藤が赴任早々目にしたのは、不良のたまり場となっていた野球部。部室は荒れ、部員たちは練習する様子もない。川藤は彼らに夢の大事さを語り、不在となっていた野球部顧問へ名乗りを上げる。
しつこいほどに夢の大事さを説き、自分の立場も顧みずに親身になって奮闘する川藤の姿に、生徒たちも少しずつ心を開き始める。そして新生野球部として再始動から1カ月、野球部全員がベンチに入らないままニコガクの練習試合が始まった。
オープニングから心を掴まれる。自分の胸の中に生まれたばかりの夢にときめき、きらめく明日に向かって必死に球を追う生徒たちの姿と、彼らを見守る川藤先生の姿がキラキラと輝いて見えるだろう。
本編に入ると、観た人は誰もが「どこからこれほどまでの熱量が生まれてくるのかと?」と感じるに違いない。やりたいことが見つからずいらだちを抱える生徒たちに、疑いもなく真っ直ぐにぶつかっていく川藤先生の姿がまぶしく見える。なぜこれほどまでに人を信じて一生懸命になれるのか不思議なくらいだ。
脚本は、原作の順番通りにストーリーをなぞるのではなく「一試合の中での回想」という形にまとめられている。すっきりと収まって観られる上に、彼らの大事な思い出を一つ一つ紐解いて見せてくれているように感じる。
大きく変化することのないセットだが、部室や校舎の屋上やグラウンドにもなり、時には藤田先生の5メートルの美脚を眺められる階段下にもなる。迫力のあるアクションシーンや胸に迫る心理描写が続く中、男子高校生らしいわちゃわちゃとした空気でほっと一息つけるのも、森田まさのり作品ならではの特徴を生かしている。
また、野球の試合の演出が見事だ。ポジションは定位置ではなく、投手と捕手の位置が変わることで別角度のカメラワークで投球を見ている気持ちになる。正面がニコガクベンチになり、バックを守る外野にもなる。球を打ち、下手へ走る。先ほどまでバッターボックスだった場所が一塁ベースになったかと思えば、あっという間にクロスプレイのホームベースにもなる。
めまぐるしいが、試合の流れの中で注目すべき点に焦点が当てられているので、野球の初心者が見たとしてもグラウンドのどこで何が行われているかが分かりやすいだろう。
打球の方向や飛距離は演者たちの視線や身体の動きで分かる。また、役の上での野球経験と演者の野球経験がほぼイコールになっていた点も、試合を観る上での説得力の材料となっていた。
なお、公演前の場内アナウンスは藤田先生役の渡部優衣が務めている。舞台を試合、観劇を観戦と言い換えてのアナウンスに、野球場へ試合を観に来た気持ちになるはずだ。
芝居の面では、舞台の上の誰もが熱い思いを胸に抱いて臨んでいるのを感じる。
裏表なくまっすぐ正直な川藤をそのままストレートに演じている根本の芝居は、観る人全てに「こんな先生、側にいてくれたらいいな」と感じさせるだろう。耳心地のいい声が、諺(ことわざ)などを用いて生徒に夢や道徳を説く川藤にぴったりだ。
安仁屋を演じる宇野結也は、野球に打ち込み始める仲間たちに対する羨ましさと素直になれない自分自身へのいらだちを表現する芝居が見事。また、スーパースターとしてのプレイと迫力あふれるアクションシーンを、さすがの身体能力で魅せてくれる。
小西成弥は、作中人物でありながら観客にも近い目線である御子柴を、安定感のある芝居で好演。個性の強い不良集団の中にあって唯一不良ではない“普通”の生徒だが、御子柴を単なる一般生徒にはさせないのが小西のうまいところだ。ニコガクのキャプテンとしての強い意志や覚悟が伝わってくる。
また、“使われる”側が自分の意思をはっきりと示すシーンに胸打たれる。意にそぐわない野球をやらされていた用賀第一高校の部員、部室の鍵係になってしまっていた御子柴…。彼らは川藤先生に寄り添われ、本心を吐露して真っ直ぐ前を向く。
川藤は、きっかけは作るが、最終的な選択は当人に任せる教育方法だと感じる。一歩踏み出す勇気を出すのは君たち自身だ、俺はここで見守っている、と言うように生徒たちに寄り添い、彼らは自分自身で変わることを選ぶ。観客は、人が変わるその瞬間を目の当たりにして心が震える思いがするだろう。
タイトルの「ROOKIES」は、野球の新人である一年生ルーキーたちと新米教師だけを指しているのではなく、変わろうと一歩踏み出し再出発の道を歩み始めた人たちへのエールが込められていると感じた。
作中、大怪我で入院中の生徒が「こんな自分でも未来はあるのか、使い道はあるのか」と不安を吐露し、川藤が「腐るほどある!」と答えるシーンがある。向き不向きはあるかもしれないが、人は誰でもあらゆる可能性に満ちている。やりたい、変わりたいと思ったその時が“ルーキー”になれる瞬間だ。
人間は臆病な生き物だ。臆病だからこそ群れを作り、自分を強く見せようと虚勢を張ったり鎧を身にまとったりする。本当に大事なものを壊されたくなくて、ならばいっそ自分の手で壊してしまおうと拳を上げることもある。
“素直になる”のは難しい。一歩踏み出したくても、自分で決断する勇気が持てずに何かのせいにして理由をつけたくなる。幾度も傷ついたスーパースターは「もう一度野球がやりたい」のひとことが言えない。
“行き場が無い、大人は分かってくれない”という共通の仲間意識で集まっていたと考えられる彼らは、野球という夢を持ち、自分を信じてくれる川藤先生という存在を得て、一つの目的を持った仲間たちとして強い絆を持って輝き始めた。
仲間たちは自分を受け入れてくれないだろう、と自分を信じられなかった新庄は、握った拳を開いて若菜から代打のバットを受け取った。その掌でもう一度手に入れたのは、拳で手に入れた薄い関係ではない。
何度絶望して夢を砕かれたとしても、夢はまた何度でも持つことができる。その夢に向かって走って行ける。本作は、忘れそうになっていた夢や希望、ときめき、きらめきを思い出させてくれる。
コロナ禍という長く暗いトンネルの出口が見えかけ光が差し始めている今、本作が上演される意味は大きいと感じる。人は変われる。いくつになっても、どんな状況になっても“ルーキー”になれる可能性がある。夢にときめき、きらめく明日に憧れれば、今を生きる力がわいてくる。
舞台『ROOKIES』は、観た人がもうひと踏ん張りしたい時、もう少し頑張りたい時にきっと力になってくれるに違いない。
取材・文:広瀬有希/撮影:ケイヒカル
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