2019年3月7日(木)に東京公演初日を迎えた鈴木拡樹主演舞台『どろろ』。先日「2.5ジゲン!!」ではそのゲネプロと舞台挨拶の様子をお伝えした。
今回は改めて筆者が鳥肌が立ったキャスト陣の演技や見どころについて観劇レポートとしてお伝えしたいと思う。公演も折り返し地点。すでに観たという人は劇場で感じたものを思い返しながら読んでもらいたい。
これから観るという人はぜひ心の準備に活用してほしい。
百鬼丸の五感を映し出す殺陣
百鬼丸(鈴木拡樹)は生まれながらにして身体のうち12箇所が備わっていない。原作と同じように舞台でも、鬼神を倒す度、鬼神から身体をひとつずつ取り戻していく。
観劇前は、こういった表現をどうするのだろうか、と純粋に疑問であった。観劇してみるとその解は至って単純で、すべては鈴木拡樹の圧巻の演技力で表現されていた。
筆者がとくに惹きつけられたのは、殺陣中の身体の繊細な表現である。
この『どろろ』はダイナミックな殺陣演出で知られる西田大輔が手がけている。そのため、劇中でも見どころのある殺陣のシーンが連続するであろうことは予想していたし、それを期待して観劇に挑んだ。
その予想と期待をかるがると飛び越えていく、それが鈴木拡樹という役者なのだと客席で痛感した。
“殺陣”とひと言で表現してしまったが、「相手の存在だけを感じて戦う殺陣」「耳が聞こえてからの殺陣」「目が見えるようになってからの殺陣」と、百鬼丸の五感にあわせて殺陣がまるで違っていたのだ。
冒頭登場する目も耳もない百鬼丸は、感じている相手の炎のようなものに対して「だいたいこのあたり」といった感じで切りつけていた。
それが耳を取り戻すと、敵の音を聞いて身体を動かすような殺陣に変わっていく。目を取り戻すと、また変化する。
ひとつの役を目で追っていて、これほど多様な殺陣を観せられることはそうそうない。息をするのも忘れてしまうような目まぐるしい殺陣のなかで、繊細な変化を自然に乗せていける力量にただ圧倒されてしまった。
殺陣は百鬼丸にとって「生きたい」「身体を返せ」という自己表現の手段なのだろう。多くを語らない、語ることが出来ない百鬼丸の、胸の奥底に渦巻くマグマが殺陣によって噴出する。そんな印象を受けた。
彼が戦うとき、観客は彼の五感を感じるだろう。
言葉を語らず多くを語る演技
どうしても最初に殺陣に触れておきたかった。しかし、殺陣だけが見どころの作品というわけではない。
1幕を終えたとき、筆者は「言葉に頼らない演技」というものを痛感していた。主演というのはたいていの作品において、1番長い時間ステージ上に立ち、もっとも台詞が多いものだ。
しかしこの作品において、主演の台詞は極めて少ない。言葉らしい言葉を発するのは物語の後半である。
感情を表現するのに、表情をつけて喋るというのは基本中の基本。百鬼丸とは、それらの手段を封じられている存在だ。
だが、とても人間臭い存在に感じられた。人間とも鬼ともわからない存在として描かれているのにも関わらず、だ。
それは彼と関わる人々の深い情があったからかもしれない。
百鬼丸に向けられる感情は様々だった。彼をただ単に敵としてしか見ていない者もいたが、同時にどろろ(北原里英)や寿海(児島功一)など彼に優しい感情を向ける者たちもいた。
無垢な百鬼丸は周りの感情を乾いたスポンジのように吸い上げていたのかもしれない。他人との関わりをひとつ経験するたび、その表情はひとつ色付いた。
決して表情が豊かな役ではないが、瞳に宿る意志や感情が刻一刻と変わっていった。その移ろいに、多くの観客は胸を打たれただろう。
百鬼丸の出自はとても悲しいものだが、描かれた彼の半生は愛にあふれていたと思う。いくつもの優しい感情に包まれていた。彼自身がそれに気づくことができるのはまだ先かもしれない。“人”としてようやく一歩を踏み出した彼がこの先幸せあふれる日々をおくれることを願わずにはいられなかった。
多宝丸のまっすぐな生き様
さて、ここからは共演者にもスポットを当ててみたいと思う。
まずは百鬼丸の弟・多宝丸役の有澤樟太郎。隠されていた実兄の秘密に触れ、自身もまたこれからの生き方を見つめ直す役どころだ。
百鬼丸と刀を交えるシーンでは、感覚で刀を振るう百鬼丸に対し、稽古や鍛錬を積んできたことをうかがわせるスッと背筋の伸びた姿が印象的だった。
両親の愛を受けてまっすぐ育ったであろう姿が観ていて気持ちよくもあり、百鬼丸の寂しさをより際立たせていた。
醍醐景光(唐橋充)、縫の方(大湖せしる)とのシーンも多く、この作品の大事なテーマである“家族の絆”を担うキーマンでもある。
両親を演じるベテラン勢に負けぬ、厚みのある演技で多宝丸の苦悩を好演していた。豪胆な殺陣と一緒に、彼が百鬼丸を見つめる表情の変化にも注目してほしい。
百鬼丸と出会い、運命が変わる者たち
いい意味で、筆者が今回1番裏切られたのが仁木田之介役の影山達也かもしれない。これまで演じてきた役の影響で、爽やかでキラキラしたイメージの強かった影山。田之介役で新境地を開いたのではないだろうか。
妖刀に乗っ取られ、狂気と無意識が混在する虚ろな表情が印象的だった。刀を使っての殺陣は初めてとのことだったが、“妖しさ”を振りまきながら振るう太刀筋に目を奪われた。
賽の目の三郎太役の健人もまた一筋縄ではいかない役を好演していた。
槍使いなので槍を振り回すのだが、スラリと長い手足と槍が一体になっているような殺陣が美しく迫力があった。
田之介も三太郎も回想シーンがとても切ない。
この回想シーンも家族との絆を丁寧に描いている。百鬼丸だけでなく、それぞれの登場人物にそれぞれ大切なつながりがあることが強調されていた。
それだけに、2人が迎える結末に胸が締め付けられるのだろう。これから観る人は、できれば膝上にハンドタオルか多めのティッシュを用意しておくことをオススメする。
百鬼丸含め、多くの登場人物が“陰”の物語を背負っている。そのなかでも、助六(田村升吾)はどろろとともに太陽のような存在だった。
彼ももちろんつらい状況を背負ってはいるのだが、どろろとともに励まし合い懸命に前を向いている役どころだ。
折れそうになるどろろの心を、助六の笑顔が救っていた部分もあるのだろう。彼の朗らかな表情は、客席にまで元気を振りまいてくれていた。
つらいシーン、シリアスなシーンが続くこの『どろろ』。眩しく光る助六の笑顔にぜひ癒されてほしい。
舞台『どろろ』はダークファンタジーでありながら、愛するものとの絆を描く優しさに満ちた作品でもあった。家族の絆は、真正面から描くとともすると陳腐になりがちだ。
いわゆる“いい話”が苦手な人でも、このダークな世界観のなかで観せられる絆は決して押し付けがましくなく、ストンと胸に落ちてくるのではないかと思う。ぜひ一人でも多くの人に触れて欲しい、そう感じた作品であった。
3月17日(日)17時から上演される東京公演千秋楽の回は、全国の映画館でのライブビューイングとCNテレ朝チャンネル1での生放送が決定している。この記事や口コミで本作が気になった人は、ぜひ観劇してほしい。胸がかき乱される3時間を味わえるだろう。
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