「2.5次元」という言葉が市民権を得て数年。連日どこかの劇場で2.5次元舞台が上演されている。最近ハマった人も、筋金入りの2.5次元界隈のおたくをやっている人も、必ずあるのが“ハマるきっかけの作品”だろう。
入り口があってこその、沼。今回は筆者の入り口について少し語ってみたい。
プロフィール 双海 しお
アイスと舞台とアニメが好きなライター。2.5次元はいいぞ!ミュージカルはいいぞ!舞台はいいぞ!若手俳優はいいぞ!を届けていきたいと思っています。役者や作品が表現した世界を、文字で伝えていきたいと試行錯誤の日々。Twitter:@futamishio
もくじ
初めて踏みしめた地ーー日本青年館ホール
およそ10年と少し前(10年!)、2008年の夏に初めて浴びた2.5次元作品。それは「ミュージカル『テニスの王子様』The Imperial Presence 氷帝 feat. 比嘉」だ。
「テニミュ」という単語はもはや説明不要だろう。2.5次元舞台に詳しくなくとも、多くの人が知っている言葉だと思うので割愛するが、今日のこの文化の礎を築いた作品だ。
当時、とある趣味があった。この趣味というのが、原作やアニメ・ゲームの「テニスの王子様」だ。このとき、テニミュ初演からはすでに5年が経過しており、その評判も耳に入ってきてはいた。
しかし、私はなかなか最初の一歩が踏み出せずにいた。“初めての観劇”のハードルはどこまでも高く、いま思い返せば未知のモンスターのように感じていたのかもしれない。
幸運にもこのタイミングで同じ趣味を持つ友人が出来た。それによって、なかなか飛び込めなかったテニミュの世界への道がひらけたのだ。そして私は初めて自力で取ったチケットを手に、日本青年館ホールの地を踏みしめた。
リニューアル前の日本青年館ホール。レンガ調の建物を見上げながら、劇場入口へと続く階段を挙動不審になりながら登った。
そして幕は切って落とされる
初めて劇場で観たその光景は、いまも鮮烈に記憶している。
開演を告げるキュッキュッというあのシューズ音(いまはもう使われていないが)が鳴り響く客席。それを耳にして、友人に借りたDVDで聞いたのと同じだ! などとミーハーな気持ちになったのは一瞬で、暗転からのプロローグ、そして「氷点下の情熱」「THE TOP」の流れで鳥肌が立ち続けた。
このとき観た組み合わせは青学4代目vs氷帝A。
プロローグでスポットライトに照らされる氷帝学園の部員とそれを束ねる部長・跡部景吾(久保田悠来)。「氷点下の情熱」の曲調も相まって、ただただ圧倒された。
関東大会での雪辱を果たしたい、果たさねばならない。「願い」と呼ぶには重すぎる感情を背負った氷帝の歌声が胸にズシリと沈んだ。
氷帝の悲壮な想いにシンクロしている間に今度は4代目青学が登場する。4代目の越前リョーマ(阪本奨悟)、そして貫禄ある部長・手塚国光(渡辺大輔)。
どっちも勝ちじゃダメ? どっちにも勝ってほしい!
最初の暗転を迎えるころには、膝にスタンバイしておいたハンドタオルをがっちりと握りしめていた。
二次元 VS 三次元
それまでの上演作品も熱心な友人による自宅上映会のおかげで知っていた。しかし、「知っている」ことと「観ること」の間にここまで大きな隔たりがあるとは思っていなかったのだ。
圧となって押し寄せてくる音と光。空気が震えているのを感じた。しかしその圧に浸っている余裕はなく、目の前では白熱の試合と、それにかける中学生たちの物語が紡がれていく。
漫画やアニメで何度となく見聞きしたセリフやシルエット。
それが目の前で繰り広げられるという体験は、なんとも不思議な感覚だった。ステージ上の光景は二次元から三次元への立体化を目指し、一方で私の気持ちは現実から物語の中へと吸い込まれていった。
劇場で出会ったモンスター
劇場での観劇は、一度味わってみると未知のモンスターなどではないことが分かった。それは凝縮された刺激が目と耳と肌から伝わってくる、もっと強大なとうてい倒すことなどできないモンスターだったのだ。
一幕を終え休憩を迎えると、私は必死の思いで座席から立ち上がりロビーへと向かった。もちろん手には財布だ。初見で打ちのめされて休憩中に物販に走る“あるある”を、まさに最初の観劇で体験した。
後半では原作内でも屈指の名試合(どの試合も名試合といえるクオリティなのがテニプリのすごいところである)リョーマ VS 跡部のシングルス1がある。
終わりのないタイブレーク。青学・氷帝・比嘉の歌う「タイブレーク」と、遠くの席からも分かるほど汗が滴り落ちているリョーマと跡部が照明に浮かび上がる。リョーマに「立ち上がって!」とエールを送り、跡部に「敗北なんて似合わない、勝って!」と念じた。
こんな熱いものを目の前で観せられてしまっては、ハマる以外の選択肢がない(と、当時の私は興奮気味に友人に語った)。
押し寄せてくる感動を処理しきれないまま、劇場から駅へと続く道で「この世界をもっと観たい、もっと観よう」と固く決意したのであった。
「せっかくだから一度観ておこう」なんて記念観劇として向かった青年館ホールで、出口なんて用意されていない“入り口”を開いてしまったのだ。
ストーリーじゃない! リアルな青春だ!
2.5次元作品にハマる理由は人それぞれだし、おたくの数だけ熱くなるポイントがあるだろう。私にとっては「青春」というのが大きなキーワードだった。
ステージから受け取るものは色々ある。演技や演出、音響、照明、ストーリーや推しの存在etc…。コメディなら笑いをもらって、シリアスなら凹んだり泣いたりもする。
そのすべてが私には眩しい青春に感じられるのだ。
舞台の稽古は人が動いて初めて成り立つ。つまり、その時間その場所にキャストが集まってやっと稽古になる。
何を当たり前なことを、と思うかもしれないが、それって実はすごいことじゃないだろうか。私達観客に届けられる前に、1ヶ月、作品によってはそれ以上の時間をかけて作品を築きあげている。
こっちはお金を払っている云々という話は今回いったん置いておく。彼らはプロだからそれが当然といえば当然なのだが、とにかく私にとってはそうやって積み上げてきた期間も込みで滾る要素なのだ。
と、ステージに立つまでの時間を考えただけで感動できてしまうタイプなので、実際に繰り広げられるあの光景に感動しないわけがない。
原作で結末を知っているから面白みがないんじゃないか。そう懸念する人もいるだろう。
しかし、そんなことは決してない。目の前で起こっていたのは「ストーリーをなぞったお芝居」ではなく、「勝つために全身全霊をかけてテニスをする中学生たちの奮闘」なのだ。
2.5次元には原作がある。作り手と受け取り手で共有するキャラクターや設定、結末がある。その分、狭まる表現もあるかもしれないが、新たに出会える部分もあるのだ。
観劇体験のなかで、この“新たに出会える部分”がたくさんあればあるほど、その人は2.5次元作品の虜になっていくのだろう。少なくとも筆者は、相変わらず虜になっている。
広告
広告