連載コラム「吉谷晃太朗のマチソワタイム」vol.50
演出家・吉谷晃太朗さんが若手俳優をランダムに紹介していく連載コラム。第50弾は小坂涼太郎さんの魅力に迫ります。
舞台「文豪とアルケミスト」シリーズに出演し、現在もシリーズ第6弾に出演中の小坂さん。彼の魅力は、その人間力にあると、吉谷さんは分析します。
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小坂涼太郎について
涼太郎ほど自然体でステージに立てる俳優はいないんじゃないかと思うほど、彼の演技には生のリアルさがある。
幼少の頃からこの世界に入った彼は、現場を遊び場のような感覚で過ごしていたんじゃないかと思う。その中で一番難しいのが、まだ成熟していない状態で大人と変わらない成果を見せないといけないこと。これにより型にはまった演技のクセがつくケースもある。
涼太郎の場合は、自分の心情構築に対しては極めて丁寧に敏感に創り上げ、周りの大人からの目は鈍感に感じて生きてきたんじゃないかと思う。
敏感力と鈍感力は“人間力”へとつながる。人間力のある者が良い演技ができるのは至極当然のことだ。大切なところは大切に、そうでもない部分はいい加減なところが彼の特性だと思う。そういったカッコつけない格好よさが、涼太郎の最大の魅力であると私は思う。
それは、世の主演クラスの有名俳優の資質にもよく似ている。
さらにモデルでデビューした高身長かつ高い運動能力で、アクションやダンスをさらっとこなしていくが、よくよく考えたらあんな切れ味のある動きを体現するなんて、めちゃくちゃすごいことである。ダイナミックなパフォーマンスは誰にでもはできない。大きな才能であり武器である。
稽古では肩に力を入れず、真面目ではあるけれど役に入るまでは独特の緩~い雰囲気。稽古で時折生まれる彼のミスも現場への緩和剤であるが、そんなミスだって、独特の敏感力と鈍感力の狭間で生まれるものだ。
そこに彼の俳優としての人間構築へのヒントがある。
すなわち、その生まれたミスこそ、物語や役が生まれる瞬間の揺らぎによるもの。そこに、その役の弱さであったり、繊細な心情を作る上で生じる違和感から起こるもので、その先のより良い選択を導くことができる。
トライ&エラーを繰り返す稽古への向かい方として、理想の型に思う。彼は自主練習を頻繁に繰り返すわけでもなく脳内イメージで作っているのか、努力の姿をあまり人には見せないが、いつ反芻(はんすう)しているんだろうと思うほど、次の稽古では心の余地を残しつつ仕上げてきてくれる。
これは天性のものかもしれない。舞台だけじゃない、映画のスクリーンでもどんどん活躍できる逸材である。
今私と一緒にやっている舞台の役も、主演、準主演に挟まれた存在として緩衝材にもなり、3本の柱としても軸を持つ。涼太郎ならではの緩さと鋭さを兼ね備えた役作りだ。
役の存在感が光るのは彼の人間力によるものなのだ。
涼太郎はいいぞ。
マチソワとは――昼公演という意味の「マチネ」と夜公演を意味する「ソワレ」を組み合わせた言葉。マチソワ間(かん)はマチネとソワレの間の休憩のこと。
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