コラム

畠山遼、本質的に愛される…だからこそ輝く【演出家・吉谷晃太朗 連載コラム】

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連載コラム「吉谷晃太朗のマチソワタイム」vol.49

演出家・吉谷晃太朗さんが若手俳優をランダムに紹介していく連載コラム。第49弾は畠山遼さんの魅力に迫ります。

ミュージカル「AMNESIA」やミュージカル「スタミュ」シリーズなどに出演してきた畠山さん。今回は、先日、一時芸能活動休止を発表された畠山さんに対して吉谷さんが言葉を贈ります。

* * *

畠山遼について


畠山くんとは長い付き合いで、私がこの界隈で仕事をし始めた頃に出会った。

演出の現場で一緒になったのは、ミュージカル「AMNESIA」である。当時私は相当未熟だった為に現場でもかなり苦労していて、本番まで時間のない中、随分ドタバタした現場にしてしまっていた。そんな中で畠山くんは、私にとってかなり安心感を感じさせてくれる存在だった。

彼は現場でイラつくことも怒ることもなく、純粋にお芝居を楽しんでいて、決して器用なタイプではないけれど実直に役作りをしていく役者だ。苦労を厭(いと)わず、オーダーに対しても一生懸命応えてくれる。役がどうでき上がるか以前に、役を作り上げていくことそのものを楽しんでいる。そのプロセスが彼の楽しい時間なのであり、その時間を存分に過ごしている。温和な性格であるという以上に、彼の雰囲気はそういうところから生まれているのだ。

そして、何でもこなす器用な役者よりも、時間をかけてスクラップ&ビルドを繰り返しながら本番に向かう役者の方が時に輝く。演じるということの奥深さはそういうところにある。

彼の優しさは目や表情から全面に出ていて、そのスタイルや顔立ちから今まで知的でクールな役回りをすることが多かったと思うが、その奥に見えるのは彼の人柄であり、憎まれ役をやっていても安心感を感じさせてくれる。どこかほっとするような落ち着く、そんな声も持っていて周りの仲間からも愛される存在である。

ミュージカル「スタミュ」の現場でもそうだった。

キャストたちは個性的な役者揃いで、それを先輩として厳しくまとめる役だったが、畠山くんがその役を演じてくれることで、後輩を指導するシーンは実際になくとも、慕われている感じがとてもよく出ていた。そういえば千秋楽だったか、それぞれ後輩への惜別の挨拶のシーンで感極まって涙を流していたね。後輩から渡された花束を持つ姿が本当に美しく見えた。

そういう純粋なところが君の良さであり、それはどんな世界に行っても、愛される武器となり、活躍の力になる。我々は良い作品を作るという目標もさることながら、人間関係の創造もまた重要な仕事であると感じる。「またどこかで」という挨拶は、千秋楽を迎えた俳優たちとよく交わす挨拶だ。現実世界か虚構世界か、またどこかの世界線で出会う仲間とはもちろん気持ちよく別れたい。

今回のコラムは私からのエールというほどでもないけれど、“思い出”という形とさせていただいた。彼に少しでも想像の花束を送れたらと思いメッセージの締めとさせて頂く。

畠山くん、一旦お疲れ様。

「またどこかで」


マチソワとは――昼公演という意味の「マチネ」と夜公演を意味する「ソワレ」を組み合わせた言葉。マチソワ間(かん)はマチネとソワレの間の休憩のこと。

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WRITER

吉谷 晃太朗
								吉谷 晃太朗
							

演出家・脚本家
大阪府出身。同志社大学文学部卒業。高校在学中より劇団ひまわり大阪俳優養成所に入所。その後大阪シナリオスクール、伊丹想流私塾を卒業し、男性演劇ユニット「Axle(アクサル)」に脚本家、演出家、俳優として参加。人気漫画の舞台化で人気を博す。ミュージカルやショー、アクション物、新喜劇など、幅広いジャンルで活動中。

Twitter:https://twitter.com/koutaroyositani

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