連載コラム「吉谷晃太朗のマチソワタイム」vol.21
演出家・吉谷晃太朗さんが若手俳優をランダムに紹介していく連載コラム。第21弾は橘龍丸さんの魅力に迫ります。
歌劇「明治東亰恋伽」やミュージカル「スタミュ」に出演してきた橘さん。非日常である舞台と実生活の差を感じさせない“バリアフリー”な俳優だと吉谷さんは指摘します。
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橘龍丸について
「演技の上手さ」とは一体どういうことだろうか。
一つの指針であり、大部分であるとも言えるのは「リアリティさ」である。観客は俳優が演じるその人物が、さも実在するかのように思えるかということを基準にして「演技の上手さ」と見ている。
もちろんそれを体現する為のフィジカルや声が備わっているかが重要であるが、このリアリティさを追求する上での障害は、演技が舞台(収録機器の前)という非日常の中で行われるということだ。
転じて日常と舞台の垣根が取り外された時、リアルな演技への障壁が取り外される。
そういう意味で、大衆演劇の舞台に幼少の頃より立ち、舞台の上で呼吸をし続けた橘龍丸は、演技と実生活の差を感じさせない。他の人物よりもより強力なアドバンテージを有していると言っていいだろう。
僕たちが家を行き来するように、舞台と日常世界を行き来できる俳優。橘龍丸の演技には日常との垣根や段差がない。龍丸は日本演劇界のバリアフリーマン(モーガンフリーマンみたいなイントネーション)なのだ。
そのように形容出来る証拠として、龍丸の近年の活躍は舞台の上だけに止まらない。声優というフィールドでも重要な役を担っている。
数多く舞台に立ち続け、剣捌きや扇の舞や女形を経験した大衆演劇出身の俳優が声優というフィールドを目指すことに、最初意外な感じもしたのだが、バリアフリーマン龍丸にとって「演じる」ということが日常の出来事であればその理由は明白である。
どの次元へ行っても垣根なく、その登場人物として呼吸が出来るのだ。
そして僕が羨ましいと思うことは、龍丸はいつも楽しそうだ。まるで趣味を楽しんでいるかのように仕事を行う。周囲が影響されるほどの笑顔を見せてくれるのだ。
龍丸の笑顔を見ていると自然とこっちも笑顔になるし、自分も楽しませたいという力が湧いてくる。
こちらの演出アイデアに対して「なるほどー」というリアクションも大きければ、演出家としても手応えを感じられるし、前に進む力を与えてくれる。
その笑顔は観客に向けても同じく垣根がないのだから、龍丸の演技には観客を笑顔にさせる力を持つし、いつも「舞台も客席も同じ世界だよ」と語りかけてくれているかのようだ。
龍丸の笑顔に贔屓の人たちは癒やされていることだろう。
余談だが、僕の個人的癒やされベスト3は「温泉」「蕎麦」「橘龍丸」だ。最近眉間に皺が寄ることが多いなと思ったら、龍丸に会ってないからかもしれない。
福井県出身の彼とは実家がめちゃくちゃ近い。こんな距離に住んでいたのかと驚くくらいだ。
我が故郷、福井県は日本一有名な米の銘柄「コシヒカリ」が生み出された県だ。美味しい米作りは環境が物を言う。福井県の肥沃で風光明媚な土地はコシヒカリを生み出し、俳優、橘龍丸を生み出したのだ。
同郷として推し俳優の一人である。
マチソワとは――昼公演という意味の「マチネ」と夜公演を意味する「ソワレ」を組み合わせた言葉。マチソワ間(かん)はマチネとソワレの間の休憩のこと。
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