コラム

赤澤燈、観客を物語へと導く“演劇的センス”【演出家・吉谷晃太朗 連載コラム】

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連載コラム「吉谷晃太朗のマチソワタイム」vol.20

演出家・吉谷晃太朗さんが若手俳優をランダムに紹介していく連載コラム。第20弾は赤澤燈さんの魅力に迫ります。

歌劇「明治東亰恋伽」や舞台「男水!」で共に作品を作ってきた赤澤さん。ものづくりの場における器用さとセンス、誠実さがあると吉谷さんはいいます。

* * *

赤澤燈について


俳優の仕事は役という誰かの人生を背負いながら、目の前の出来事が本当であるかのように感じることである。つまり真実を感じとる目と心を育てることが最も重要な鍛錬の一つと言える。

そんなことを文章にした時、僕の目に浮かぶのは赤澤燈という俳優だ。

赤澤くんは誠実な心と目を持っている俳優である。自分の人生をこうしたいという意志を持つ芯のある男だ。

それは演出家として関わっていなかったとしても、彼の芝居を見ただけでも分かる。

演出家にだけ感じられるものじゃない。自分の人生の真実を誰かという役で追体験しているからこそ、役を通して観客にもその真実が伝わるのである。実生活においても劇世界においても芯のある人の言葉は相手に通じるものだ。

そして、赤澤くんは器用でセンスのある男だ。

その器用さとセンスはストレートプレイのみならず、ダンスやアクションなど特に身体を活用した表現において絶大な力を生む。

ただ運動神経を持っているというだけじゃない。ダンス、アクションのどちらにもそこに感情が乗る。その動きは演劇表現の力となる。

赤澤くんは演技としての真実がない限り、そのパフォーマンスをやれない。でもやらないわけじゃない。仕事としてきちんとそのパフォーマンスに「人生」を乗せてくれるのだ。

僕にとって信頼のおける俳優とは、嘘をつかない人のことを指す。

赤澤くんは器用な性格やセンスの持ち主であり、もっと能率的に構築出来るにもかかわらず、役をじっくりと丁寧に作り上げる。

つまり彼の持ち前のセンスは、「演劇とは遠回りをしながらも、苦労を重ねながら作るものだ」ということに気付いていること。器用さだけでは乗り切るものじゃないということに気付いているのだ。それこそがものづくりにおけるセンスと器用さとも言える。

役者として赤澤くんがどこのポジションにいてくれたとしても、その作品はグレードが一つ上がる気がする。彼がいることの安心も、挑戦的な姿勢も、全て作品の力となる。手を抜かずにやり切れることが彼の器用さであり誠実な部分であるのだ。

ダンスはダンサー並のダンスレベルであるし、アクションも心のこもった素晴らしい本当のパフォーマンスだ。彼の動きの切れ味はエンターテインメントとしての力となる。

彼の永遠の少年のような澄んだ眼は、今日も真実を見ているに違いない。

お客さんも物語世界で迷い真実を見失いかけたら、赤澤くんの目を追いかけるといいだろう。彼の見ている真実を感じ取り、物語の中に居場所を感じながら生きることができるだろう。赤澤くんとそのドラマに生きていれば迷子になることはない。物語の結末への道を伝えてくれる。

永遠の少年伝道師、赤澤燈はそんな俳優だ。


マチソワとは――昼公演という意味の「マチネ」と夜公演を意味する「ソワレ」を組み合わせた言葉。マチソワ間(かん)はマチネとソワレの間の休憩のこと。

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WRITER

吉谷 晃太朗
								吉谷 晃太朗
							

演出家・脚本家
大阪府出身。同志社大学文学部卒業。高校在学中より劇団ひまわり大阪俳優養成所に入所。その後大阪シナリオスクール、伊丹想流私塾を卒業し、男性演劇ユニット「Axle(アクサル)」に脚本家、演出家、俳優として参加。人気漫画の舞台化で人気を博す。ミュージカルやショー、アクション物、新喜劇など、幅広いジャンルで活動中。

Twitter:https://twitter.com/koutaroyositani

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