コラム

ミュージカル『憂国のモリアーティ』になぜ惹かれるのか? その魅力を主演の2人と音楽から考える

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2019年5月に上演されたミュージカル『憂国のモリアーティ』の続編となるミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.2 -大英帝国の醜聞-が、2020年7月31日(金)から幕を開ける。

「モリミュ」続編を待ち望んでいたファンにとっては、この1年強の月日はとても長く感じられたことだろう。

この記事では、2作目上演を記念して、筆者が1作目を観劇して感じた本作の魅力を紹介したい。ネタバレなしの内容にまとめているので、「モリミュ」というワードが気になっていて、これから足を踏み入れようとしている読者も安心して読んでほしい。

音楽の持つ力は「モリミュ」を支える大きな柱

『憂国のモリアーティ』は、かの有名なコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズを原案とした作品だ。

「シャーロック・ホームズ」シリーズは、華麗な推理で謎解きをしていく変人の探偵シャーロック・ホームズを主人公とした作品だが、本作は、その敵であるウィリアム・ジェームズ・モリアーティが主人公になっている。

幕が開けると、そこにはウィリアムが憎む完全階級制度に支配され暗鬱とした19世紀の大英帝国が広がっていた。“広がっていた”というよりも“飛び込んだ”という表現の方が、劇場で感じた感覚には近いかもしれない。

実際に体験したことのない時代の物語は、どこか劇場と観客の間で「あちら」と「こちら」といった境界線が生まれてしまいがちである。しかし「モリミュ」に関しては、その感覚が一切なかったことがとても印象に残っている。

この境目が消えたきっかけは、M1にあったように思う。そこに用意されていた楽曲は、作品のオープニングを飾る華々しい楽曲とはまた違う、ウィリアム(演:鈴木勝吾)が壊したいと願う社会そのものを煮詰めたような、不安が掻き立てられる楽曲であった。

この楽曲を通じて、彼とその兄弟が自身に課した使命と、同時にシャーロック(演:平野 良)に賭す想いを、観客は全身で受け止めることになる。そして、続くストーリーを、大英帝国に生きる登場人物たちと地続きの場所から“眺める”のではなく“味わう”ことになる。

音楽を手掛けたただすけ氏の手腕と、ピアノとバイオリンの生演奏、そしてなにより高い歌唱力と表現力を持つ役者陣がこれだけ揃ったからこそ生まれ得る感情のうねりなのだろう。

もちろんM1だけではない。終始、観客はこの音楽に心を動かされ続けることになる。楽曲の中にウィリアムの想いを見出し、兄弟の絆を垣間見て、シャーロックの変人っぷりに心酔し、光属性のワトソン(演:鎌苅健太)に心洗われるのだ。

前述したように、本作はピアノとバイオリンの生演奏という2.5次元作品では珍しい形式が採用されている。これが、生身の人間がそこに在るという“息遣い”を感じさせてくれる。舞台上では、役と役だけでなく、役と奏者との間の駆け引きも生まれ、その瞬間にしか聴くことのできない情景が奏でられるのだ。

終演後、多くの観客は耳に残る余韻に浸りながら、ミュージカルだからこそ表現できたものについて想いを馳せたのではないだろうか。それだけ説得力のある音楽が、この「モリミュ」の大きな柱となっているのだ。

光と影のコントラストが浮かび上がらせるそれぞれの譲れないもの

本作はウィリアム役の鈴木勝吾とシャーロック役の平野 良のW主演となっている。この2人の名前が主演として並んでいることにワクワクしたのは筆者だけではないはずだ。

今ここで改めて2人の芝居や歌唱力の高さを語ることはしないが、それぞれ磨かれた技術と経験を持つ2人の掛け合いとぶつかり合いによって、本作の面白さは数段階も引き上げられたと筆者は感じている。

2人はこの物語の軸となっているが、相対するシーンは実はそう多くない。基本的にはそれぞれの場所で、自身の役目をまっとうしているのだが、それがふとした瞬間に交錯していく。

わずかなシーンで生み出される緊張感が、ロンドンを覆う霧のように、作品全体を包み込んでいくのだ。

互いの信念を“正義”と呼ぶなら、2人の“正義”の形は第三者から見れば違っている。しかし、当人にとってはそれが紛れもない“正義”であり、譲れないものだ。

その違いを例えるならば、ウィリアムが影であり、シャーロックは光となるだろうか。決して混ざり合うことはないが、背中合わせで存在している。その関係性があるからこそ、悪人を裁くという勧善懲悪なストーリーだけでは終わらない、深みが加わっているのではないだろうか。

劇中では、登場人物たちの心を映し出すような照明も非常に印象的であった。特に多くを語らないウィリアム兄弟の胸の内や、本音の見えないシャーロックの心の機微などを、音との相乗効果で雄弁に物語ってみせてくれた。

これもまた、舞台装置があるからこそ味わえる「モリミュ」の醍醐味といえるだろう。

観客の心は深い霧にも似た余韻に包まれる

作品を観ていると、自分なりに感じるこの世界に対する“正義”や“悪”が生まれてくるだろう。「どうしてそう思ったのか?」という自問自答も生まれてくるかもしれない。

そんな観劇後の時間も含めて、どっぷりと19世紀の大英帝国に染まることができるのもミュージカル『憂国のモリアーティ』が生み出す重厚な世界観あってこそなのだろう。

これから1作目をDVDやBlu-rayで観てみようという人も、2作目の観劇予定がある人も、素晴らしい役者陣の芝居はもちろん、音楽・照明・アンサンブルといったあらゆる要素をじっくり楽しんでみてほしい。

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WRITER

双海 しお
 
								双海 しお
							

アイスと舞台とアニメが好きなライター。2.5次元はいいぞ!ミュージカルはいいぞ!舞台はいいぞ!若手俳優はいいぞ!を届けていきたいと思っています。役者や作品が表現した世界を、文字で伝えていきたいと試行錯誤の日々。

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